“只说一半”的日语(言葉足らずの日本語)

文責:郭丽老师

 

「あれ、どうなってる?」

 

日本使用这种省略的表达方式的人有很多吧。我也属于不太擅长理解这种表达方式的人。当然在公司内很多时候会反问“主语是什么?”“到底指的是什么事情?”,甚至连客户那边也发生过对话因此不能继续下去,使周围的人感到很诧异的状况。

日本では、このように言葉を省略する人が多いですよね。言葉を省略する人…実は私もちょっと苦手なんだけど。会社ではいつも「誰が?」とか「あれって一体何を指しているの?」とか問い返すんだけど、お客様との会話でそこまで踏み込むのは失礼だし、そんなことしたら周りの人もみんなビックリしちゃうでしょ。

 

虽然是这样,自己的在表达意思时,也会突然说「回避できないかな」然后被对方反问「何をですか?」表达的时候为什么会自然的省略信息呢?

まあ、自分でもね、「回避できないかな?」と突然言ったり、それに対して相手は「何を?」って、やっぱり聞いてくる。何か言いたい時って、なんで、自然と言葉を省略しちゃうんだろう?

 

对交流有研究的我首先想到的一个理由是日本独有的高语境文化,也就是所谓的“体会式”交流方式。

コミュニケーションにおいて、日本人がいつも「言葉を省略する」理由の一つは、日本特有の伝達方法、すなわち、「空気を読む」という習慣からきているんだと思う。

 

 

例如:例えば、

1、問:「今日一杯どう?」=今日飲みに行きませんか? 答:「月末はちょっと」=「月末なので(忙しい、お金がない)真意:「行けません」

2、相手:「じゃあ勝手にしろ」=あなたの主張は許容できません 自分:「…(怒っているからやめておこう)」

3、自分:「明日締切だから集中したいんだよね」=「明日締切なので集中する必要があります。テレビを消してもらえますか。」 相手:「ごめん、テレビ消すね」

 

在日本人看来,含蓄、不直接说出来是很平常的事情,但是如果对表达相对直接的国家(瑞士、德国、美国等)的人来说,就会觉得很困惑、听不明白其中的含义了。

日本人を見ていると、感情を表に現さず、直接的な表現も滅多に使わないので、直接的に表現する国、例えば、スイス、ドイツ、アメリカの人たちからすると、日本人の話しは真意がわかりづらくて、時々困ってしまうみたい。

 

日本和其他国家相比,比起实际上信息的交换,更注重的是“场面”“状况”“条理”等方面。自然而然被省略的要素会有所增加。这和不说清楚比较好的“暧昧文化”重合,获取信息一方需要较高的阅读理解能力。

日本とその他の国を比べたり、実際のやりとりを観察していると、「場面」「状況」「秩序」を重視する傾向があり、そうなると言葉が省略される機会がやっぱり増える。これと「あまりはっきりと話さないことが良いとされる曖昧な文化」が組み合わさって、ほんのちょっとした情報で相手が何を考えてるのかを「忖度」する力が日本人には自然と身についたんだと思う。

 

所谓的“暧昧文化”是什么呢?例如:「曖昧な文化」って?

「検討します」=本当に検討する場合にも、フェイドアウトスタイルで断りたい場合にもつかわれる

 

这些日本式的交流方法,有多重理解,所以对此感到困惑也不是没有道理的。一瞬间就能懂的人是既懂得日本文化,又会“察言观色”的人。很难得(笑)

このような日本式のコミュニケーション方法は本当にたくさんあって、例えこれらに対して、困惑の感情が湧いたとしても決しておかしいとは言えないよね。瞬間的に理解できる人はすでに日本文化を理解しているか、もしくは「ことばつきや顔色から人の心を探る」ことができる人なんだと思う。でも、そんなの難しいよね(笑)。

 

每种语言的背后,都有着这个国家文化的渗透,汉语、日语尤其明显。学好语言固然重要,会说语言的同时,也要理解背后的文化,常常有事半功倍的效果。

あらゆる言語には、その国家の文化が必ず浸透していて、中国語、日本語もその例外ではない。もちろん、言語を学ぶことは大切だけれど、その国の言語を学ぶと同時にその国の文化を知ることもまた同じくらい重要で、そうすることで言語にもその国の文化に対してもさらに興味が湧いてくるものよね。

 

你的生活中,有没有听到过“只说一半的日语”呢?

日常生活で、「言葉足らずの日本語」ってあなたは聞いたことある?

 

 

 

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