1995年3月
「ハワイ、グアムでもいっちょ行っとくか〜」
クラスのみんなは、高校の卒業旅行の話題で盛り上がっていた。揃いも揃って、おしゃれに汚れたレッドウィングのダークレッドの皮ブーツをはいて…
ダークレッド…中国…いや別にここに深い意味はない。
そんな中
「これから必ず中国の時代がくる。若いうちに今の中国を目に焼き付けておけ」
という恩師の勧めもあり
「よし、みんなが東に行くなら、俺は西に向かおう」と中国(上海、北京、西安)バックパック3週間の旅を決意した。
旅の前に決まっていたのは、往復チケットと初日のホテルだけ。自分で六本木の中国領事館に行って、ビザ取得の手続きをして…
航空チケットを購入したHISの中国担当のおじさんはなぜか妙に優しくて、親身になっていろいろ教えてくれた。
「高校の卒業旅行で中国か…めずらしいね、がんばりなさい。」
そのころの上海はメインストリートを外れると、アスファルト舗装がされていない路地もまだたくさんあった。屋台の3元〜8元(当時のレートで33円〜88円)の水餃子、焼きシューマイ、冷やしピリ辛きしめんはホントにうまかった。
びゅー!と、ビルの谷間風が音をたて、街路灯が点いたり消えたりしている、ドラマでよく見かけるような暗い路地から、石造りの立派な高層ビル群を見上げて、こんなところで仕事をしている人たちは一体どんな人たちなんだろうと…まだ「ナニモノでもなかった(nobody)」17歳のわたしはひとり寂しくトボトボと歩いた。
2018年9月
23年もの歳月を経て、依頼された上海での初仕事。花園ホテルの28階から眺めた上海の景色に、なぜか深い感動を覚えた。
こんな環境に身を置かせてもらえる幸運に、友人に、スタッフに、両親に心から感謝。
依頼してきてくれた会社のために、今の自分は一体何ができるだろうか。
20数年中国で学んできた
知識、経験と第六感を
なんとかここで活かしたい。
心から寄り添う気持ちを忘れずに。
いつの日か、ナニモノ(somebody)かになるために。