今朝、考えたこと。

中国で語学学校を経営していると、「日中友好」のためにすごいですね〜と言われる。

 

 

でも、私の今の持論では、いかなる「国家間」の永久的な友好関係などあり得ないと思う(語学学校の校長がこういうのはどうかとも思うが)。

 

 

まず第一に、特に隣国間においては、お互いに経済的(領土とか資源とか)且つ国際関係上(その地域の明主にどの国がなるかとか、メンツやそのせめぎ合い等)の利害関係がある。

 

利害関係が衝突する時、自国の言い分が、必ずしも100%通るとは限らないので、できる限り自国のために、時には譲歩しながら、地道に根気強く交渉する必要がある。

※『落日燃ゆ』城山三郎

 

 

友好<外交

 

 

第二に、その時代その時代、国力も政治体制もリーダーも違う。

どこのチームだって、企業だって、国だって、リーダーが変わればやり方が変わるのは当然。

つまり、隣国との関係が良くなろうが悪くなろうが、「泰然自若」としていればよろしい。

 

 

泰然自若

 

 

一方で、「個人間」の半永久的な友好関係(「半永久的」と書いたのは、自分たちの代[親の代]で終わるか、次世代[子ども、孫たちの代]まで続くかはわからないから)はありえるかもしれない。私が2002年に初めて中国に来てから16年間、不変の友情を育んでいる中国人の友人もいる。

 

 

こういうことを言うと、また「親中派」だとか言われるんだけど…

そういう短絡的な発想は…もういいかな。

 

 

私は「国籍」や「性別」や「年齢」や「宗教」が、ある人の「判断材料」にならない。

 

 

「がんばってるなあ」とか、「すごいなあ」とか、「一緒にいるとワクワクするなあ」とか、「視野が広くていろんなこと考えているなあ」とか、「生き様が素敵だなあ」とか…私の場合、そんなとこ(例えば、以前の校長コラムでも書いたが、私が18歳の時の「心の師匠」は、1元の火烧を売っていた6歳の中国人の少年)。

 

気になる「ある国」をより深く知るためには、「ある国のある人」と話さなければならないから、日本語、英語、中国語、韓国語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、イタリア語、ベトナム語、タイ語などをしっかり学びましょう、というのが私の提案(ま、当然)。

 

 

つまり、何が言いたいのかというと、いくつもフィルターがかかった、ニュースソースもいい加減で粗悪なメディアを通してではなく、自分の心眼(【仏教用語】しんげん、修行によって得た智慧、心の働き)で、中国を知りたい、中国人を知りたい、中国でビジネスがしたいのであれば、やっぱり「中国語」をしっかり学ぶのが一番手っ取り早い、と、そういうこと。

 

 

朝起きて、ふと、こんなことを考えた。

 

 

さっと書いたので、まとまっていないところもあるが、あえて修正せず。

 

 

徒然なるままに。